参考資料

 

 

 防衛省・市ケ谷記念館の展示状況をご理解いただけるよう、以下の参考資料を掲載いたします。

 

1. 「行政文書開示決定通知書」・「市ケ谷記念館展示品一覧」・「市ケ谷記念館見取り図」

2.市ケ谷記念館における「東京裁判」に関する展示状況

3.論文「極東国際軍事裁判記念館設立について」(『季刊戦争責任研究』2012年春季号 所収)

4.「ニュルンベルク裁判記念館」開館の記事

 

 

1. 「行政文書開示決定通知書」・「市ケ谷記念館展示品一覧」・「市ケ谷記念館見取り図」について

 現在、防衛省では本記念館の展示に関する資料を一般公開していません。そこで当会共同代表の長谷川順一が防衛省に対して開示請求を行い、ここに掲載した資料を入手いたしました。したがって、この資料が本記念館の展示に関する唯一つの公文書となります。ご関心のある方はご自由にダウンロードしてください。

 

 本記念館で展示されている「東京裁判」に関する文献資料については、「展示品一覧」をご覧ください。また、それらは「見取り図」中の<13>~<16>の陳列ケースに展示されていますが、そのケース数は全体の16分の1に過ぎません。なお、現在、本記念館では展示された文献ついては、「著作権の関係」で撮影禁止とされています。

 

 

2.市ケ谷記念館における「東京裁判」に関する展示状況について

 

 以下の写真は、現在の展示状況です。内部が照明で明るくなった4つの陳列ケースが<13>~<16>の陳列ケースに当ります。また、右・中央の写真で背後に掲示された大きな図面は東京裁判で実際に使用された世界地図と言われています。

 


 

  現在、市ヶ谷記念館は一般公開され、見学することができます。しかし、防衛省構内にあるため、その見学は事前予約が必要です。詳しくは本サイトのリンク集の防衛省サイトをご覧ください。ご関心のある方は、是非とも実際に本記念館に足を運ばれてご自分の目でご確認されることをお勧めいたします。

 

 本記念館1階の大講堂には陳列ケースが配置され、主として陸軍士官学校関連の書籍、卒業生の遺品、軍服等が展示されています。その片隅のわずかなスペースに「東京裁判関連資料展示コーナー」がありますが、その容量は他のケースの16分の1にすぎません。

 

 また、そのケースには書籍が展示されていますが、書名を確認できるものは少数です。書籍が開いた状態で展示されていたため、その表紙と背文字が見えず、説明文もないからです。また、著作権法上の問題でこのケースだけが写真撮影禁止です。

 

 開廷から70年を経た今、東京裁判関連の内外公刊資料・研究書は汗牛充棟の様相を呈しています。しかし、ここに展示してある文献はわずかです。しかも、多数派判事判決文の展示すらないのに、『パル判決書』だけは展示されています。その背後には東京裁判に対するある種の評価があるということなのでしょうか。

 

 そもそも、防衛省当局が意図する「市ヶ谷記念館」の展示コンセプトとは何でしょうか。

 

 まず第一に、防衛省主催の市ケ谷台ツアーは、現在、午前の部が9時30分から11時45分まで、午後の部が13時30分から15時40分です。行程は①儀仗広場→②市ケ谷記念館→③ヘリ展示場→④メモリアルゾーン(厚生棟・広報展示室)の順です(午前午後で逆になる場合もある)。しかし、2時間ほどの時間で広い敷地内を4か所も回るため、移動時間が長く、見学時間は極めて短いのが現状です。「市ケ谷記念館」そのものの見学も、このツアーの一部に過ぎないため、正味30分もありません。

 

 第二に、防衛省担当者による市ケ谷記念館の説明は、映像「市ケ谷台の歩み」を中心に行われます。その内容は「一号館」という建物が歴代どのように使用されてきたのかという歴史です。そこには「東京裁判」の概要説明は一切なく「東京裁判」に関連する説明は、映像上映中に一時停止して「法廷」の位置関係を示すのみです。そして、上映終了後、講堂壇上に登る天皇専用階段の説明があるだけです。

 

 以上のように、この展示のコンセプトは「東京裁判」ではなく、「一号館」の歴史にすぎません。そのコンセプトに立てば、たしかに「東京裁判」もその歴史の単なる一齣です。そして、単なる一齣であれば、この貧弱な展示で十分なのかもしれません。しかし、「東京裁判」を「一号館」の歴史の単なる一齣とすませてよいのでしょうか。

 

 最後に、奇妙な話ですが、この移設復元にあたり、防衛庁(当時)は、大講堂を「陸軍士官学校の創建当時のイメージ」で復元したといわれています 。そのために長らく取り外されていた演壇奥の天皇玉座をわざわざ復元しました。なぜ、戦前の陸軍士官学校の「創建当時のイメージ」を復元する必要があったのでしょうか。多数の人々が保存運動に努力し、約20億円もの国費を投じたのは、そのような目的のためではないはずです。なぜ、<天皇玉座>を復元したというのに、<東京裁判法廷>は復元しないのでしょうか。現在の「市ヶ谷記念館」の展示コンセプトには疑念を禁じえません。

 

 

 

3.論文「極東国際軍事裁判記念館設立について」(『季刊戦争責任研究』2012年春季号 所収)

 

 以下の論文は、共同代表の春日恒男が執筆したものです。「市ケ谷記念館」保存に至る経緯、とりわけ市民による保存運動の詳細とそこで提起された「市ケ谷記念館」の活用案が紹介されています。保存運動を担った市民の皆さんの願いと現在の「市ケ谷記念館」の姿がいかにずれたものであるかをご確認ください。

 

 

4.「ニュルンベルク裁判記念館」開館の記事

 

 以下の記事は、2012年11月22日付『朝日新聞』の記事です。同じ敗戦国であり、共に戦争裁判を経験した国として、ドイツの動向を無視することはできません。この戦争裁判と向き合うドイツの姿勢は、「市ケ谷記念館」の活用方法に一つの示唆を与えてくれるでしょう。