「市ヶ谷台」の歴史

 

 

1656(明暦2)年、尾張徳川家第2代光友、市ヶ谷台に上屋敷を築く

         

         明治維新後、尾張徳川家が返上

 

1874(明治7)年、京都兵学寮が市ケ谷台に移転

 

1937(昭和12)年6月、陸軍士官学校本部として1号館が建設

          8月、陸軍士官学校本科が座間(神奈川県)に移転

 

1941(昭和16)年、陸軍予科士官学校が朝霞(埼玉県)に移転

         その後、大本営陸軍部、陸軍省、参謀本部が市ケ谷台に移転

 

1945(昭和20)年8月、米軍が接収

 

1946(昭和21)年5月、極東国際軍事裁判(東京裁判)法廷として1号館を使用

           その後、米極東軍事司令部、国連軍司令部、米軍将校宿舎等に使用

 

1959(昭和34)年、日本に返還

 

1960(昭和35)年、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地が置かれる

         1号館は陸上自衛隊東部方面総監部及び陸上・海上・航空自衛隊幹部学校等として使用

 

2000(平成12)年5月、防衛庁(当時)が檜町(六本木)から移転

 

 

「市ケ谷記念館」の成立

 

1987(昭和62)年

8月28日、防衛庁(中曽根内閣)が市ヶ谷地区(陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地)への移転計画を決定。

11月12日、新宿区議会が「移転計画撤回の意見書」を採択

 

1990(平成2)年

4月12日、「防衛庁移転反対連絡会議」結成

 

1991(平成3)年

9月13日、「市ヶ谷1号館の保存を求める会」(以下「求める会」)結成、シンポジウム「東京裁判を考える」を開催

12月20日、「求める会」が「保存要望書」を防衛庁に提出

 

1992(平成4)年

8月6日、各政党の政策審議会関係者出席による「保存を求める連絡協議会」発足

 

1993(平成5)年

4月16日、「求める会」がシンポジウム「二つの国際軍事裁判」を開催

4月20日、自民党有志議員が「1号館保存の申し入れ」を宮澤首相と党4役に提出

6月3日、防衛庁が市ヶ谷地区で移転工事起工式を挙行

6月8日、「求める会」が「保存を求める請願書」を衆参両院に提出

9月24日、参院内閣委員会で「1号館保存問題」の公聴会を開催

11月9日、参院内閣委員会で「1号館保存問題」の集中審議を行う

12月1日、新宿区議会が「保存を求める意見書」を採択

12月15日、防衛庁が「一部保存」を正式決定

 

1994(平成6)年

1月28日、参院本会議で「保存を求める請願書」を採択

2月24日、「求める会」が「全面保存」を求めて防衛庁長官を東京地裁に提訴

8月31日、「求める会」が「全面保存の要望書」を村山首相に提出

9月30日、関係団体が集まり「取り壊し反対決起集会」開催、防衛庁に抗議デモを行う

10月17日、東京地裁棄却

10月21日、1号館解体工事開始

10月28日、東京高裁に控訴

11月28日、東京高裁棄却

 

1995(平成7)年

1月13日、磯崎新と鈴木博之が「取り壊し中止の要望」を防衛庁に提出

2月23日、「求める会」が「取り壊し凍結の申し入れ」を防衛庁長官に提出

8月15日、「求める会」解散

 

1996(平成8)年

6月17日、最高裁上告棄却

 

1998(平成10)年

10月29日、「市ヶ谷記念館」完成

 

1999(平成11)年

3月30日、「市ケ谷記念館」が報道陣に公開